とある女性航海士の日常

新米の女性航海士です。高専や船のことなど書きます。コメントは悪意のないものは100%返信しますが乗船のため非常に遅いです笑(半年後くらいかも)

【青雲丸航海記②】~島の写真付き!遠洋航海編~

高専6年生の7月から9月まで行ってきた、海技教育機構の実習についての記事です。
最初の記事はこちら↓

【青雲丸航海記①】~コロナ禍ではどうやって実習していたの?~ - とある女性航海士の日常


前回の長期実習と同じように、遠洋航海と国内航海があったので、今回は遠洋航海について書いていこうと思います。

 

 


今回の遠洋航海事情


まず、今回の遠洋航海とはどういう経緯で行われたのかについてです。


例年であれば、4月から6月の涼しい時期に九州、7月から9月の暑くなってきたときに北海道に寄港するという、すごく都合のいい予定だったのですね。でも、今回はコロナの影響でそもそも、4月から6月の実習がまるまるなくなってしまったんです。


さらにそれだけではありません。本来なら国内の航海だけだったところ、航路に遠洋航海も入ることになりました。


これには事情があります。私たち、船員育成機関の学生が海技士の免許を取るときは、一般の人より乗船履歴が短く、一年でいいという決まりがあるんです。ただし、それには4000マイル以上の遠洋航海を経験しなければいけないという条件があります。

私たち商船学科生は、4年生のときのシンガポールへの航海でそれをもう経験しているので今回は国内だけで大丈夫な予定でした。その記事はこちら。

【日本丸旅行記】写真付き!~シンガポール編~ - とある女性航海士の日常


ところが、乗船が延期になり、一緒に乗る学生さんにも変更があったようなのです。

今回、本来なら一緒に乗らないはずであった学校の人と一緒に乗船することになりました。そして、その学校の人たちはまだ遠洋航海を経験していなかったようなのです。

 

その人たちの履歴の遠洋航海4000マイルを走るため、私たち既に経験している高専生も同じ船なので当然一緒に、となったわけです。

急遽そうなったのですが、どうやら青雲丸は法律的には遠洋航海走ってもいいらしいですが、遠洋航海はすごく久しぶりとのこと。


しかも、通常ならシンガポールやハワイに行くのですが、今回は外国なんて当然行けないので神戸から出て、どこも寄らずに20日後にまた神戸に戻るという(笑)

こんな目的地なくただ外海を走るだけの航海なんて、いくら練習船でも初めてではないでしょうか?

 

とはいえ、私たちを楽しませるために(?)、航路についてはいろいろ面白い工夫をしてくれたようなのです。それについてはまた次の項目で詳しく書きます。

 

機関コースの人たちが乗っていた、銀河丸も同様で、目的のない遠洋航海に行ったり、国内航海をしたりしていたようです。


これね、乗船するまで知らなかったんですよ。

予定がわからないまま乗船し、その後上陸することなく予定を告げられそのまま遠洋航海、みたいな。

 

遠洋航海は実習が始まってから20日程度、その後、7月の後半から国内の航海が始まるという日程でした。この遠洋航海というのは一度も止まることなく、ただずっと走り続けたのです。

寝ているときも食べているときも遊んでいるときも、もちろん誰かが操船して走り続けたまま。途中からは慣れましたけど、錨泊もドリフティング(漂泊)もなしでこれだけ走り続けた経験は今までありませんでした。

 

 

遠洋航海 約3週間の航跡


ではさらに、この遠洋航海の具体的な航路について紹介します。


まず当初の予定です。


ざっくり紹介すると、神戸を出港し、ただひたすらに向かって航行しました。八丈島の近くを通って東経162度くらいまで行きました。

 

その後に方向を変え、南鳥島を周回し、さらに南へ走りました。

 

それから神戸へ戻るために向きを変えて、南硫黄島硫黄島北硫黄島と通って、父島、母島の近く、孀婦岩を通り、再び日本の近くに戻ってきました。

 

本当にざっくりですね(笑)何しろ、上陸したわけではないので、島を見たところで「島があるー!」という感想しかないのです(笑)


ちなみに、今回走った航路の画像をJMETSが発表しているツイートがこちら。記録された航跡を紙に出しているはずなので、一番正確です。

 

こうして見ると東経162度ってけっこう遠いんですよね…。この航跡を20日間で走りました。

 

では、もっと詳しく写真つきで説明していきます。

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これがTwitterの航跡画像です

航跡画像に神戸を出てからの方向に一本の線があると思いますが、これは一度北に走ってからもう一度Uターンしたためです。

 

なぜそんな遠回りなことをしたのかというと、日本の近くにしばらく留まって航海することで、コロナの症状の出た人がいても、最悪陸に戻れるからです。つまり、ここから本格的に遠洋に出てしまうともう戻ることが厳しく、最後の砦ということでした。でも運のいいことに、コロナになった学生はいませんでした。


東に行くにつれて、誰もが知っているように日出時間が早くなります。そこで、時刻改正を行いました。船の時計を進めるのですね。

 

一番長いときで1時間45分くらい勧めていたと思います。

ご存知の通り、時間は経度によって決まりますので、ただひたすら東に走った私たちは、それだけ時間を変える幅が大きいのです。だから、日本では朝4時とかでも船では6時近くだったり。

 

だって、進めないと普通は夜って時間にもうお日様が出てきて、逆に夕方が近づくとすぐ暗くなっちゃうんですよ、夏なのに。それでは不便なので時刻を変えます。

 

これは、当直の学生が毎朝、マイクで何分進めるという放送をかけるんです。一日20分くらい、何日かに分けて進めました。

 

逆に戻ってくるときは時計も戻していき、神戸に着くときは日本時間に戻っているということに。この時刻改正により当直の長さが変わるのでけっこうそれで班によってみんな士気が上がったり下がったりしていました。


東航するときは、最初北緯32度の一定の緯度で行く予定だったのですが、途中から、北の方が天候の悪い予報があり、影響を少なくするために、北緯30.5度まで南下した一定の緯度上を走りました。図の通りですね。


南鳥島では、せっかくなので島の周りを何周もしてくれて、写真もたくさん撮れました。レアですよねー!

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ご存知、日本最東端の島です。本当に低い島で、海面と高さがそんなに変わらないくらいでした。浅いので近づきすぎないように、でもできる限り近づいて、海面の色に注意して回っていました。

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今は確か、自衛隊観測の方しかいないんだったかな?工事をしていました。海の色がすごくきれいでしたね。


その後に通ったのが南硫黄島でした。

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お椀を逆さまにしたようなきれいな形をしていますね。高さは、900メートルくらいだと聞いたような気がします。自然が多くありそうな島ですね。


そして硫黄島。昔、戦地となっていたことでも有名ですね。ご覧のように、なだらかなところと小高い山の部分があります。

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北硫黄島も通ったのですが、そういえばその時私はちょうど当直に入っていたので写真を撮れなかったんですよねー!


そして孀婦岩

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何もない海の中に100メートルの岩が突き出ているんです。この実習で初めて存在を知ったのですが、個人的にはこれを見られたのが一番面白かったです。

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神秘的ですよね!船乗りでなければまず見られない、船乗りであってもなかなか見られないものです。


父島、母島の列島は通過したのが夜だったので見られませんでした。


こういう風に、割と珍しい、写真スポットになるようなところを選んで航路を航行してくれたのです。

 


当直


遠洋航海では、一度も止まらなかったので、ひっきりなしに当直がありました。


普通の実習では6個の班があり、順番に当直を回しているのですが、今回は4班でした。

従って、当然回転のスパンは早くなります。5ヶ月実習のときとは比べ物にならないくらい当直の順番は忙しかったと思います。本来の航海士は当直を3回交代で回していますので、それに近い頻度になりました。

 

当直に入っていない一班は課業で、英語とか天測の授業を受けていたので、いろんな当直や課業を順番に経験していました。


なぜこういう形になったのかというと、これもまた実習が短くなった影響ですね。

 

海技士試験の履歴をつけるにはいろいろと条件があるらしく、当直に入らなければならない時間が決められているらしいのです。普段のペースだと、その時間を満たさないので、班の個数を少なくして、すぐに次の当直が回ってくるようにしたそうです。


当直でやったことといえば、練習船に乗ったことのある方ならご存知のアレです。みんなで見張りとかレーダーの当番を回して、最後は気温とか引き継ぎに丸暗記するやつ(笑)


我々の詳しい当直については、また練習船をよく知らない方向けに記事を書きたいと思います。

 


天測


実習の名物(?)というか、遠洋航海で毎回行われるのが、天測です。


まず、この天測というものについてですが、船の位置を知るための手段なのですね。


普通、国内で航海をしていれば、陸上の風景や建物、夜であっても灯台の光を頼りに自船の位置を知ることができるのです。そのための、陸上の物標の方位を計測する練習もします。1年生のときからずっとします。ただひたすら経験あるのみです(笑)

 

しかし、遠洋航海では、全く周囲に陸もなく、真っ暗で海しかないところを航海するのです。自分が今どこにいるかは星や太陽を使って知るしか方法がないのです。何も目標がないのですから。


現在はGPSがあり、外航船社でも六分儀での位置を優先して使うことはありません。しかし、GPSはご存知の通りアメリカのものですので、いつか外交関係が変わると使えなくなる可能性もなきにしもあらずで、実習では天測をやることになっているんです。いざというときのために使えるようになっておこうって。


天測ですが、六分儀という専門の道具を使って太陽の高度を測るのです。六分儀という名前だけでも聞いたことはあるのではないでしょうか。かなり昔からある道具でして、星座にもなっています。

詳しい使い方なんかは省きますが、精密な器械です。それを使って自分の位置を突き止めます。


天測をする時間になったら当直の、それから課業の実習生もみんな船橋に上がって自分に割り当てられた六分儀を使って太陽の高度(水平線からの高さの角度)を測ります。

六分儀は一人一台貸し出されているのですが、買うと何十万円もするらしいです。高度を計測し、その結果から、おおよその緯度が出せるのです。

 

天測専用のノートや表があり、サインコサインが混ざった複雑な計算をして位置を出します。符号とかごっちゃになりますし、時間もかかるので、課業が全てその時間だったり、当直に入っている人も当直を一時休んで長い時間を使って計算をします。

 

よくつまづいて間違え、何度も計算と提出をし直します。そもそも、計測の時点で違うと計算が合うはずないですし。

 

正午になったらもう一度太陽の高度を測って、なんか比較して位置を出せるそうですが、私はこのへんからもう理解が追いつかなくなっています(笑)


天測は遠洋航海でのルーティンで、一番大きな勉強です。内航に帰ってきたら、もう六分儀や天測の勉強はできません。


実際の航海で六分儀のようなものを活用する機会はそうないかもしれませんが、経験として毎日使っていきます。基礎の部分はやはり大事ということですね。一応は計算して位置を出すところまで習うのです。


参考までに、実際の私の天測を計算したノートの一部を貼っておきます。全然真面目に取り組んでませんでしたので、ご了承を。

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大量の計算ですよね!


私は5ヶ月実習ではこの天測が全然できなくて嫌いだったのですが、今回の実習では割とできるようになり、そこそこやれました。とはいえ、この、自分の六分儀計測の腕だけで位置が出せるなんて全然信じられないですし、到底実際に使えるようになる気はしません。


※一般の方がこのように太陽を目にするのは危険ですので、くれぐれも太陽を直接見ないようにしましょう。

 

 

遠洋航海であったこと


今回の遠洋航海であった面白い出来事をいくつかご紹介します。


良さと言えばやはり、普段はなかなかできない経験のできるところでしょう。


こちらの記事でも実習の面白かったところを書いていますが、貴重な体験ができました。

【元実習生が語る!乗船実習の魅力】練習船のメリットを紹介します! - とある女性航海士の日常


まず、イルカを見たことですね。こんなの、船乗りからすれば日常かと思いますが、イルカの群れがたびたび出現するんですよ。日本の近くにけっこういます。

野生のイルカを見る機会はなかなかないですが、新米の私ですらけっこう見ているので、船乗りになるとしょっちゅう見られるでしょう。


ほとんど波のない海域なのに、ざわざわとそこだけ海面が荒れると、イルカが出てくるのです。本当に船の近くまで来ますし、群れになっていたり背びれまで見えたりしてかわいいんですよねー。素晴らしい経験です。航海士になったときはクジラを見るのが目標ですね。


それから、当直中にを見られます。

海の上は、周りに何もなく、どこを見ても海しかないのです。陸の上では出会えない、本物の真っ暗闇です。

夜になると、満点の星が見られます。本当にどれだけ小さい星も見られる辺り一面の星空で、まるで星座の本から出てきたような景色です。人生にこんな星空が見られることはそうそうないでしょう。

 

しかし、船の上では天気がよければそんな星空の見られることはしょっちゅうなのです。これは、実際に見ないとちょっとお伝えできるものではないと思います。でもすごく感動的な景色です。

星のことは全然詳しくないですけど、大小様々な星がまるで降ってくるようです。


しかし、ここまでは前回までの実習でも経験できたことです。


今回の実習では、これまでと違って、遠洋航海なのに全く揺れず、ほとんど船酔いをする人はいませんでした。

 

前回の5ヶ月実習では、冬期ということもあり、シンガポールの行き帰りで揺れが大きくまた航海も長く、ずっと気持ち悪かったのですが、今回は夏だからでしょうか、揺れをさほど感じませんでした。大変快適な航海でしたね。

あるいは、マストのある日本丸よりも汽船の方がマシな揺れということなのかもしれませんね。

 

遠洋航海に出たのにずっとこれはとても嬉しいですね。


そして、今回はコロナから逃げてこのように遠洋隔離という形になったのですが、日本の近くにいたので船上の設備を使い、少しですが陸の情報を得ることができました。海事新聞というものが毎日印刷され、食堂に貼られたのです。

 

そこで、コロナの感染者の人数がどんどん増えているのを遠くの海上から毎日見ていました。私たちは船の中だけで暮らしており、のどかな環境でしたので、正直陸で起きていることを読んでも実感がわきませんでした。

 

遠洋航海をしている船にいるのは無人にいるような感覚です。帰っても浦島太郎状態なのです。でも、私たちが南鳥島へ行っていたそのとき、日本では感染が拡大していっていたようなのです。ほかの、陸での出来事も、少しですが読むことができました。


あともう一つ、今回の実習特有の出来事がありました。


夏の遠洋航海なのに、低緯度の方へ南下するということで、本当に暑くなったのですね。また、今年は特に気温が高いと言われていて、船内でもかなりの暑さになりました。

 

そこで、今回の航海で決められたことは、下は作業着を着ていれば、上はどんなTシャツでも着ていいということです。襟のついていないものでも、色がどんなものでもいいという決まりです。

実際、みんな各々好きな半袖のシャツを着て過ごしました。集合のときもみんなシャツがカラフルでした。これは海技教育機構でも初めてのことらしいです。画期的ですよね!

 

あの長袖の作業着を着るよりも涼しくなってよかったです。こんな大洋上で熱中症になられても教官も困りますしね。

 

普段は船員らしくしっかりした服装をしなくてはいけないと言われて作業服を脱ぐことなんてできないのですが、今年は急遽遠洋航海に出ることになり、この気温であり、特例を出してくれたらしいです。遠洋航海ということで、崩した格好をしても見る人もいないということもあるようです。

 

実際、けっこうJMETSは外からの視線を気にしていて、寄港するときは陸を散歩とかしている人とかから見ても恥ずかしくないようにいつも気を遣っています。
遠洋航海が終わり、国内航海に戻るときになると、着るのを許可されるのは襟のついたシャツのみになりました。

 


まとめ


こんな感じで、今回の三週間程度の遠洋航海は終わりました。乗船するまで知らされず、突然やることになった遠洋航海でしたが、こうして見るとなかなか色濃い経験かわできたのではないかと思います。


海外に行けることはなかったといっても、これだけ日本の東、南側の島を見て回れるチャンスはない訳で、また別の意味で面白かったと言えるでしょう。


三週間と言いましたが、天測があったり当直があったりで忙しく、充実した時間でしたね(まあ、ちゃんとそれらができるようになったかは別として)


実際より長く感じました。

あたり一面海だけで、何も見えないところを何日も航海する訳ですから、遠洋航海2回目とはいえ、そうできない体験でしょう。日本から離れると海もきれいで、電波もつながらず、ほとんど外界から切り離されていました。


いつになるかはわかりませんが、次の航海記③の記事では、国内航海について書きたいと思います。

 

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